Fools Day 下


 

 
4 sideM
 
 程なくしてやって来た二人のタマネギに荷物を持ってもらって、ぼくはフィガロを抱いて大使館へ向かった。
 ぼくらの住むマンションからマリネラ大使館までは、ゆっくり歩いても10分足らずの距離だ。大使館の集まる地域でもない、住宅地と商業地の間あたり。中途半端な立地を不思議に思って、バンコランに、
「どうしてマリネラ大使館はあんなところにあるんだろうね?」
と、問いかけたことがある。
 彼は昨夜のように眉間に皺を寄せて、
「わざわざ私のマンションの近くに作ったのだとあのアホは言っていたがな。真相は知らん」
と答えた。まさに苦虫を噛み潰したような顔が可笑しくて、ぼくはついクスクスと笑いながら、
「まさかそんな」
と返したけれど、今は本当かも知れないなと思う。パタリロの損得勘定は、どこかおかしい。
 
 大使館について扉を開くや否や、湿っぽい泣き声が幾つも幾つも聞こえてきた。案の定、大使館のタマネギたちからも、パタリロは持ち寄りパーティーと称して食べ物を巻き上げたのだろう。この様子では、彼らは朝食どころか昨夜の夕食から食べていないのかも知れない。
「マ、マライヒさん・・・」
 柱の影から、よろよろとやつれきったタマネギが姿を現した。
 タマネギの外見はみんな一緒であまり見分けが付かないけれど、彼はおそらくフィガロとよく遊んでくれるタマネギの一人だろう。今も、ぼくの腕の中から手を伸ばして、遊んで欲しがっている。
「パタリロは?」
「奥の部屋でお待ちです」
「大丈夫?」
「ええ、これでも軍人ですので、食事の一度や二度」
と言ったところで、タマネギのお腹がきゅるると鳴った。やはり、相当お腹を空かせているらしい。ぼくの斜め後ろに立ったタマネギが持ってくれているバスケットを指して、
「あれ、サンドイッチが入ってるんだ。パタリロに渡す料理は別に作ってきたから、フィガロ連れて公園にでも行って食べてきて。みんなで分けたら少しずつになっちゃうけど、何もないよりはいいでしょ?」
と、伝えると、お腹を鳴らしたタマネギの目がみるみる潤み始める。
「ま、マライヒさん・・・・・・」
「ぼくは朝もちゃんと食べたし。フィガロにきちんと食べさせてくれればいいから」
パタリロにばれないように行きなね、と付け足してフィガロを任せる。タマネギさんとご飯を食べて遊んでてねと頭を撫でると、フィガロは朝と同様お利口な返事をした。
 
 ラップを掛けてそれぞれ大きな紙袋に入れたボウルと大皿を持ってくれていたタマネギから大皿を受け取って、パタリロがいるそうな部屋へ向かう。料理の到着を待ちわびて大暴れしているかと思えば、不思議と部屋の中は静かなようだ。ノックをしてみても、返事はない。
「パタリロ? 入るよ?」
 また何かおかしな事でも企んでいやしないかと構えつつゆっくり扉を開くと、どんよりとよどんだ空気が迫ってくる。パタリロ一人がいるだけで、こうも空気が濁るのだろうか。
「パタリロ?」
 まだ外は明るいのに何故かカーテンを閉め切った室内に目をこらすと、部屋の再奥、ライティングデスクのあたりに人影がある。シルエットからして、パタリロのようだ。こちらに背を向けて、デスクの上に置いた何かをしきりに動かしている。音から察するに、ガラス製の何か。
「パタリロってば」
 返事はない。
 集中していて聞こえないのだろうかと、そっと歩み寄って側で声を掛けてみる。
「パタリロ!」
「わっ!!」
 ぼくの声に驚いたのだろうか。ふくふくしたタラコのような指が、持っていたビーカーを落としそうになった。あたふたとビーカーを捕まえほうっと息を吐いたパタリロが、こちらを振り向き様に大声を出すだろうと予想が付いたので、耳をふさいでおく。
「おどかすなー!!!!」
 それでも十二分に響き渡る声量。公園まで届いて、フィガロが泣き出しはしないかと心配になるほどだ。
「驚かせようとした訳じゃないよ。料理、届けに来たんだ」
「おお、そうか。そっちに置いといてくれ」 
 すぐさまスパゲティに飛びつくかと思ったパタリロは、紙袋から取り出した皿を一瞥しただけで、デスクの上に置かれたビーカーやらフラスコや秤やらの実験器具に視線を戻した。一体、どうしたんだろう。とりあえず、フルーツパンチの入ったボウルを運んでくれたタマネギと一緒に、料理をパタリロの指した応接セットのテーブルに置く。
「何してるのさ、ミートボールスパゲティさめちゃうよ?」
 どんなバカに食べさせるのでも、例えそれがパタリロでも、温かい料理は作って直ぐ、せめて冷める前に食べるのが一番美味しい。食べ頃を逃して不味くなってしまっては、料理が可哀相だ。どうせ食べるなら、今すぐ食べて欲しい。
パタリロは、ぼくの声に、ちょっとまてとおざなりな返事をしただけで、デスクの上の器具をいじくり回している。幾つもの種類の液体や粉末を、しきりに計っては混ぜ合わせている。どうやら、「何か」を作っているらしい。
 
 タマネギの一人がお茶を運んできてくれたので、応接セットのソファーに座って飲んでいると、パタリロが、
「よし」
と呟いて、一つの丸底フラスコを手に立ち上がった。
「出来たの?」
「あとはレンジでチンするだけだ」
「スパゲティを?」 
確かに冷めてしまったので、温めた方が良い。
「それは後だ」
「後?」
 ぼくの疑問を置き去りにして、パタリロは控えていたタマネギに電子レンジを運んでくるように命じた。すぐさま、ワゴンに乗せられた電子レンジが運ばれてきて、コンセントに電源プラグが差し込まれる。こういう迅速さ、的確さを目の当たりにすると、間抜けな形をしていても、タマネギは優秀な軍人なのだなと思う。全く、マリネラはどうしてこうも人材を無駄にするのだろう。
 
 ぼくの思案などおかまいなしで、パタリロは手にしていたフラスコに栓をし、レンジに放り込んで600Wで30秒加熱した。不思議なことに、フラスコは割れもせず、中の液体だけが水色から紫へと色を変えている。
「よしよし、うまくいったな。おい、イボイノヒヒ、料理をこれで温めろ」
「・・・マライヒだよ」
 虚しいけれど、一応反論しておく。
 結構な重量の皿を抱えて、レンジに向かう。が、皿がレンジに入らない。うちで一番大きな、少し深みのある丸皿。クリスマスとかバースデーに、チキンや七面鳥を乗せるとき位にしか使わないものだ。今まで一度もレンジには入れたことがない。このレンジも決して小さなものではないけれど、どう頑張っても入りそうにない。
「・・・厨房の大きなレンジで試してくる。それでもダメなら、もう一回軽く火を通すよ」
 パスタはのびちゃうけど。
 それでも、冷たいままよりはいいだろう。
「お、こっちはなんだ」
 人の話を聞いているのかいないのか。
 パタリロは、テーブルに置かれたボウルをのぞき込んでいる。
「フルーツパンチ。もう一品作れってきみが言うから、慌てて作ってきたんだよ」
「マントヒヒにしては気が利いてるな。じゃあ、まずこれで試してみるか」
「マライヒだってば・・・」
 紫色の怪しげな液体を手にしたパタリロは、ぼくの反論を無視してライティングデスクへ戻り、霧吹きを手に取った。やけに慎重な様子で、液体をそれに移し替えている。
 何とも嫌な予感がしたので、深くは聞かずにぼくは大皿を抱えて厨房へ向かった。
 
 
 
5 sideB
 
「それで、どうなったんだ?」
 おそらく、地球上で一番頭の切れるバカを君主に頂いた哀れな国の大使館にほど近い公園の芝生に広げられたシートの上で、わたしはマライヒに問うた。
 もうすぐ時刻は、三時になろうとしている。
 
 大きな事件も起きず、デートの約束をした少年もいなかったので、時間休暇をとって定時より早めに本部を出た。携帯電話にメールを入れて寄越したマライヒに従って足を向けた公園は、今が盛りとばかりに咲き乱れる花々と、浮かれたタマネギで満ちていた。
 昼食もとうに終え、タマネギ数人を相手に駆けたり転んだり飛び上がったりしているフィガロが、花々の隙間から見え隠れする様は、なんとものどかだ。ここにいるのが、軍人と、諜報部員と、元殺し屋と、その子供とはとても思えない。
 
「どうもね、パタリロの作っていたものは、10秒ごとに物質を倍にする液体だったみたいなんだ」
「何だって?」
 美しい子の発した言葉の意味が分からず、思わず問い返したわたしの頬に、細く滑らかな指が触れる。このたおやかな指があの潰れアンマンの為に料理を作る労を負ったのかと思えば、時折風に乗ってかすかに聞こえてくる奴の悲鳴も、当然の報いと思えた。
「ぼくを待ってる間に、偶然テレビのCS放送で見た、日本のアニメに出てきたんだってさ。その液体を食べ物にかければ、どんどん増えて食べても食べてもなくならない。だって十秒ごとに倍に増えるんだから」
 夢物語の様な話を咀嚼する為に、葉巻に火を付けて深く吸い込む。
 マライヒが寄越したトレイに灰を落として、視線で続きを促した。
「お腹に入れたものは、消化されるからもう増えないらしいんだけど、食べるスピードが増えるスピードに追いつかなくてあっという間に部屋中がフルーツパンチの海になっちゃったんだって。それでなくても欲張りなパタリロのことだもの。最初は何分か待って十分に量を増やしてから食べ始めたんだろうし」
 そこまで話すと、シートの上に折って座っていた形の良い脚をぐっと伸ばして、マライヒはのびをした。陽気に誘われて、眠気でもやって来たのだろうか。彼のももの白さと健やかさに目を奪われていた私を、
「きて」
と誘う。断る理由もないので彼の促す通り、膝の上に頭を乗せて横になる。
 何がそう嬉しいのか、笑みを浮かべてわたしの髪を手櫛で梳きながら、マライヒは大使館に視線を送る。また、かすかな悲鳴が聞こえてきたようだった。
「ぼくは、嫌な予感がしたから、パスタを厨房担当のタマネギに頼んで、他のみんなもなるべく早くこっちに来るように言って回ったんだけど。最後に逃げてきたタマネギの話だと、パタリロはどんどん増えるフルーツパンチとスパゲティを、歓喜の悲鳴を上げながら食べてるらしいよ」
「あきれた話だ」
 そして、何ともバカバカしい話だと思いはするものの、納得がいってしまうのは、それがパタリロの仕業だからなのだろう。さすがに、4月1日が誕生日な者のすることは、愚かさにも磨きがかかっている。
「おかしいな」
「なあに?」
 顔を寄せてくる子の頭を捕らえ、そのまま口づける。
 昨夜、いや正確には今日だが、嘘を嫌って愛を語らせなかった唇。
「もう、午前は過ぎたはずだが」
「そうだね」
 悪戯そうに笑う吐息が、頬を擽り、耳朶を食む。
「でも、パタリロのことだもの。そのうち食べるスピードが増えるスピードに勝って平らげちゃうよ」
 それでも、今日一日はさすがにお腹いっぱいでしょ。それに、他のことは手に付かないだろうし夕ご飯の用意もいらないから遊んでいられる、ってタマネギさんたちは喜んでたよ。
 そう言って、せっせとフィガロの遊び相手を務めている彼らに、マライヒは軽く手を振った。気付いた数人と、フィガロが、大きく手を振り返しているのが垣間見える。
 
「パタリロには、いい誕生日になったのかな」
 また、わたしの髪を梳り始めたマライヒがぽつりと呟く。
 10歳の誕生日、この子はどこでどうしていたのだろう。誰か、祝ってくれる者は、いたのだろうか。
「思う存分腹が膨れるんだ。奴にとってはなによりだろう」
 出来ることなら、わたしが祝ってやりたかったと、叶うはずもないことを思いつつ、返事を返し、葉巻を灰皿へ押しつける。
「確かに。あの子にとっては何よりだよね」
 絶妙なタイミングで、またかすかな悲鳴が聞こえてくる。その悲鳴の滑稽さに、マライヒはクスクスと笑い声を立てた。少なくとも、今こうしてわたしの側でこの子が笑顔でいることは、現実だ。
「マライヒ」
「はあい?」
 よほど可笑しかったのか、目尻に浮かんだ涙を指で拭いつつ返事をした彼の頭を、もう一度引き寄せる。
「愛している」
「バンコラン?」
「もう、午前は過ぎただろう」
 目を丸くしたマライヒを言いくるめ、先程より深く唇を合わせる。さすがに、春の花が咲き乱れる日中の野外で、彼を押し倒そうとは思わないが、キス以上に進みづらい体勢であることに内心感謝した。
 かなり深いキスに、呼吸が乱れかけた頃、
「あ、言い忘れてた」
とマライヒが顔をあげた。
「なんだ?」
 濡れた唇を革手袋の指でなぞると、頬に名残のキスを寄越して大使館の方向を見遣る。
「お誕生日おめでとう、パタリロ」
 奴には分不相応な贈り物だと言うと、マライヒはまたクスクスと笑った。
 
 
 
<終>
 
 
 
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